安心の苗を植えて。

まだ残暑が厳しい平成1*年9月

私の社労士人生を大きく左右する事件が起きた。
クライアントとの打ち合わせが終わり事務所に車で帰る途中、突然携帯電話がけたたましく鳴った。

道端に車を停め電話に出ると、クライアント会社の経理総務担当の女性の鳴きじゃくる声が聴こえてきた。

「もしもし?どうされました?

落ち着いてください。どうされましたか?」

落ち着かせて話を聞くと、一人の社員が出張先で「くも膜下出血」で倒れ意識がないという。

運ばれた病院の話ではここ数日が峠だろうと言う。その彼はまだ四十歳前後。彼の名を聞いた
私は数年前、労務中のケガで彼に労災保険の手続きをしたことを思い出した。

電話口で状況を聴くうちに、私の脳裏に一抹の不安がよぎった。
「こんな状況の場合、今後の手続きを家族にうまく伝えられるだろうか」

当時の私はそれなりの経験もあり、何をどうやればいいのかぐらいは解ってはいたが、
この非常時の対応策を遺族に正確に伝えることに大きな不安を抱いた。

そして二日後、彼は息を引き取った。

私は逃げ出したい衝動を抑えながら葬儀に参列し、祭壇に飾られた遺影写真の前で深く頭を下げた。
遺影写真の彼の顔は笑顔に満ちていた。
友人達が次々に弔問に訪れ、笑顔の遺影写真を見ながら涙を流していた。

あの時の光景は今でも私の脳裏から消えない。
弔問客が一旦途絶えたのを境に、私は遺族の方々に労災認定の説明をいつもより時間をかけて説明した。

しかし説明しながらも私自身、どこかで違和感を感じていた。
その日以降、私はあの違和感を拭えぬまま悶々とした日々を過ごした。

どうしてあんなに不安だったのか、どうして逃げ出したいと思ったのか

二ヶ月を過ぎたある日、労務管理に関するセミナーに参加した私は、セミナー終了後に講師に尋ねてみた。

「例えばの話ですが、クライアントさんの会社の従業員が亡くなった時、
家族がわかりやすいように、必要な手続きをうまく説明するには、
どうしたらいいのですか?」

すると講師は言った。

「人が死んでいるんですよ。上手に説明できるわけ無いじゃないですか。
それよりもその社労士さん、嘘付いているんじゃないですか?
家族がわかりやすいようにじゃなくて、自分がよく知っているとか、
凄いとか思われたいだけじゃないんですか?」

その鋭い指摘に、私は返す言葉が見つからなかった。
不安を感じたり、逃げ出したい気持ちになったのは、もしかしたら自分が相手からどう映るか
を心配していたからなのかもしれない、

自分でも気がつかないうちに解説者のような意識で説明しようとしていたのではないだろうか、
先生と呼ばれどこかで有頂天になっていたのか・・・と。

その時、ふと思い出した。

自営業を営んでいた父と母の苦労を子ども心に見てきた私は、いつか事業主を助けてあげる人になりたいと決心し、
開業したあの時の事を。

労働基準法をはじめとする法律は事業主の義務が多い。その義務を知らないと思わぬところで
不利益を被る。そんな事が無いように、働いてもらっている人と働いている人を守りたいと思って、
私は社会保険労務士になったのだ。

それがいつの間にか、先生と呼ばれる解説者になり下がろうとしていた。

「働く人と働いてもらっている人の両方を守りたい。」

たとえ、双方にとって利益が相反するようなことであっても、

長期的に双方が利益を得られるような解決策を提供し寄り添いサポートする、

それが私の務めだと、その時改めて確信した。

そして、十数年の歳月が流れた。

いま私は、富山県社会保険労務士会の理事や関連団体の幹事長、理事や評議員を務めながら、
若い社労士の育成と、多くの事業主と労働者をサポートしている。

経験も知識も社会から認められるまでに至った。

しかし、

そんな私でも、時に対応策に不安を覚えたりする時がある。

そんな時、私はきまってあの日を思い出す。

携帯電話にかかってきた声にならない涙声と、
働く人と働いてもらっている人の両方を守りたいと決心したあの起点の日を。
社会は常に激しく揺れ動く。

その動きに合わせ経済も常に進化の道をたどる。
その進化を最前線でリードしている事業主とその進化の基盤を支える労働者の
その双方の労働環境を私は全力で守り寄り添いながら、

「雇用と労働」の現場に

「安心の苗」を

植え続けていきたい。

上市社会保険労務士事務所
社会保険労務士 上市 真也

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